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相手の話を「聞いてあげている」って思っていませんか?

タイトル

鍋って、日本の独特の文化だそうです。

同じ鍋で、同じご飯を食べる習慣。話をしなくても、お鍋を食べているだけで、なんか一体感というか、その場を共有している感じがします。

鍋の前では老若男女、みんな一緒。にこやかに、美味しくご飯を頂くことは、本当にシアワセなひとときです。

最近、どこか自分で「あ、フラットじゃない」って思うことがちょっとずつあったんです。

それが蓄積されて…ちょっとした事件がおこりました。

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しようとすること、してあげようとすること

どこがどんな風に?って言われると、答えに困ってしまうんですが…ひとつ分かったのは「理解しようとすること」と「理解してあげようとしている」ことは、大きな違いなんだってことでした。

前者と後者の違いは「立場」です。カウンセリングやセッションに限らず、普段のコミュニケーションの中でも、聞き手と話し手は同じ立場の人間です。

聞き手側だからって、聞いている立場だから偉いわけじゃないんですよね。

これ、当たり前だと思っていたんですが…どこかしら「聞いてあげている」って思っていた自分がいました。このことに気がつかないと、常に上目線で話を聞いていることになるので、フラットな気持ちで接する事ができなくなります。

どんなことにも「感謝」の気持ちを持って接したり、対応したりするのって、常にフラットな気持ちで相手との関わり合いに気付くためのちょっとしたおまじないなのかもしれません。

事件が解決した後、とあるご夫婦にお食事に招待されていて、とてもステキな時間を過ごさせて頂いたことに感謝すると共に、カウンセリングやセッションをするとき、普段からこういったことに気を配りながら、フラットな自分で居続けることを誓った一日でした(^^)

あんじゅの思うトコロ

相手のことを理解したい時、言葉で分かろうとすると、そのことが逆に傷つけることになることもあります。尋問になったり、言いたくないのに無理矢理に聞くことで、よりかたくなになったり…。

たとえ話をしなくても、一緒にいるだけでも、ぼーっとしているだけのほうが、理解できることもあります。人の心をほぐすのに、マニュアルはありませんから。

杏珠
以上、鍋はしゃぶしゃぶが好きな杏珠でした。それではまた!
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1972年生まれ。東京都八王子出身・中野区在住。デジタル機器やデジタルサービスを駆使して、いつでもどこでも人生を謳歌する「デジタル寅さん」として活動中。デジタルの楽しさを知ってもらうためのデジタルサポートを行っています。 その他にはグラフィックデザイナー、料理や食を通じてコミュニケーションを楽しむ研究をしている「食と心の研究家」としても活動。料理コミュニティ「キッチン男子部」の顧問も。