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理由もきっかけも必ず必要なワケじゃないってこと

先日、とある講演会の中でのお話しで、とても共感するお話がありました。
このお話をシェアしますね(^^)

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富士山登頂のたとえ話

例え話ですが…富士山に登ることにしました。そのときに…

  1. ヘリコプターなどで9合目まで飛んで、残りを歩いて登頂する。
  2. 自宅から乗り物を一切使わずに、歩いて富士山を登頂する。

これを聞いて、どう思いますか?

1番を聞いて

  • 「そんな方法ができるわけがない」
  • 「そんなのは山登りとは言わない」
  • 「登山を馬鹿にするのか!」
  • 「別にいいんじゃない?」

2番を聞いて

  • 「登山だけでなく、すべて歩くことに対してのこだわりがあるんだな」
  • 「馬鹿じゃないの?」
  • 「なんでそんなことをするの?」
  • 「平日なら会社が休めないので、土日ならできそう」

こんな意見が飛び交ってました。いろんな意見があっておもしろいなぁ…と。

で、私はというと…「どっちでもいい」でした(笑)

その人が本心から富士山に登りたいというのであれば、すばらしいことじゃないですか!
登頂できた、できないに関わらず、私はココロから応援します。

やりたいことのきっかけ

自分のやりたいことに対して、きっかけや理由って必要がないと思うんですよね。だって、ただやりたいんだもん(笑)

自分以外の相手が満足する、納得する理由がなければ、そのことを実行できないって思考だと、世の中の大抵のことは、言い訳をしてやらなくてもいいことだらけだと思います。

でも、もし言い訳をしてやらなかったとしても、それは別に悪いことじゃないですよね。だって自分で判断したことですし。誰かが何を言うことではありませんから。

その発言の裏には…

さっきの質問で、事故で足が悪くて歩けない人が、どうしても自分の目で富士山の頂上からの景色が見たいって人だとしたら、9合目までヘリコプターで行って、おんぶをしてもらって景色を見るって人かもしれない。

自宅から歩いて登山する人は、そうしたら自分の世界が変わるかもって決意を持って出発するかもしれない。

という気持ちをもって行動しているとしたらどうでしょうか?もしかしたら、自分が発言する内容が変わるかもしれませんね。

あんじゅの思うトコロ

その人が言うことに対して、良い悪い、できるできないと判断するようなことを言いそうになったら、なんでそう言いたくなったのかを、内観してみてください。

昨日は、練馬&ライフハック関連の友人である@kazumotoさんの出版記念パーティーに参加してきました。

出版記念パーティー

ご自身のブログを拝見していて、この本を出すことには大変な勇気をもって執筆されたことがひしひしと感じられます。

うつ病と診断されて、社会復帰を目指している方は、この本を一度手に取ってみてはいかがでしょうか?ご自身のヒントになることが書かれているかもしれませんので(^^)

そうすると、普段の生活の中で、とてもココロ穏やかになるヒントが浮かび上がってきますよ(^^)

杏珠
以上、やらない理由をたまに見つけてしまいそうになる杏珠でした(笑)それではまた!
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1972年生まれ。東京都八王子出身・中野区在住。デジタル機器やデジタルサービスを駆使して、いつでもどこでも人生を謳歌する「デジタル寅さん」として活動中。デジタルの楽しさを知ってもらうためのデジタルサポートを行っています。 その他にはグラフィックデザイナー、料理や食を通じてコミュニケーションを楽しむ研究をしている「食と心の研究家」としても活動。料理コミュニティ「キッチン男子部」の顧問も。
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